紫綬褒章受章に際して

報告

この度“紫綬褒章”を賜った。

過去にも折に触れて(困難な時期にご褒美のように)様々な賞を頂いて来たけれど、章、すなわち国から栄典を授かるとは思わなかった。というか、こんなに早いとは思わなかった。それはいつか頂けると思っていたという意味ではなく、いつの日か頂けるように精進せねばと、思っていたということである。

なぜそう思ったか?

欧州滞在時から私は毎年何らかの形でこの国の舞踊界に参画して来た。97年と98年には青山バレエフェスティバルで作品を発表し、99年にはリオンオペラバレエの一員として来日公演をしている。そして2000年からは新国立劇場バレエ団や札幌舞踊会など、日本のバレエ団に振付をし、02年に欧州を引き上げて帰国してからは、プロジェクトを立ち上げ、その後新潟で劇場専属舞踊団Noismを立ち上げ、より深くこの国の舞踊界に参画して来た。

しかしそれらは全て主催者側からの委嘱によるものであり、主に振付家としての活動である。そしてそれらは私自身が自ら強く望んで動いた=戦ったという感覚ではない(Noism設立は別として)。では私が自ら心に抱き続けて来た一念、戦い続けて来た事とは何であるか。それはー

“この国における舞踊家の社会的存在意義の立証/確立”である。

2世舞踊家である私にとって、この国で舞踊家として生きていくことの難しさ、その不安定な未来については、父の背中から(勿論それを支える母からも)十分に学びとれたものである。だから17歳で単身日本を離れたこと、その機会を逃さなかったことも、両親にとっては勿論、私にとっても必然的選択であった。だから、19歳でオランダの舞踊団(NDT)とプロ契約を交わした時、父に国際電話で「もう仕送りはいらないよ」と伝えた時のことは、生涯忘れないと思う。

舞踊が裕福な家庭に育った子供のお稽古事ではなく、芸術であると証明すること。舞踊家が趣味に生きる人ではなく、一国の文化を担う専門家であると立証すること。そしてその活動場所を、新しい劇場文化の在り方として確立すること。それこそが、私が目指し続けて来たものであり、これからも追い求める道である。

この度の受章が少しでも、この国の舞踊家に対する社会認識を変え、舞踊に携わる人々の意識向上に繋がるならば、これほど嬉しいことはない。これからも世界の劇場文化、そして未来の舞踊家たちの為に、この身を賭して戦い続ける所存である。

生涯舞踊家として。

“紫綬褒章受章に際して” への4件のフィードバック

  1. Mea より:

    「舞踊が裕福な家庭に育った子供のお稽古事ではなく、芸術であると証明すること。」
    正に心の中で長年引っかかりがあったことです。
    人前での表現が好きだけど、出来なかった、舞台を観ることが大好きな私たちのためにも今後の邁進をたのしませてもらいます。

    • jokanamori より:

      はい。恵まれた者の定めとして、これからも精進します。舞踊を愛し、信じ、求める人々の想いを背負って。

  2. mikaru より:

    覚悟が感じられる舞台。それは、お父様から続く覚悟なのてすね。命を削るような作品、表現は時に受け止める側には尖すぎて、困惑することがありますが「芸術」とはそうしたものなのかな。これからのご活躍も楽しみにしております。

    • jokanamori より:

      はい。これからも私が両親の元に生まれた事、この時代に生まれた事の意味を探して、舞踊芸術と向き合い続けていきます。

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